見たくないものは見ない!TVドラマに対しての決意?&『終止符』を読む

韓国で放映されたドラマのリメイク版という「ボイス」を 録画してみていた

回を重ねるごとに(いや初回から、か) 気味の悪い映像が多く 次回に続く、形式で 心休まらないドラマだなとふたり 見る度に話していた

もう犯人は 分かっているのにまだ最終回があるという

こんなドラマの最終回?さぞ、後味良いものとは思えない、と 二人の意見が一致して もう見ないことにした

この夏ドラマは わたしたちには つまらなかった

見たいドラマは少なかったので、時間つぶしに 「ボイス」とか、「サイン」「刑事ルーサー」を録画視聴していたが 今となっては見なきゃよかったと思うものばかり

これは これからの、反省事項だ

残り少ない時間だもの、見たいものだけ見なくっちゃ~ね

そうなると、夜の時間は読書となるが 図書館の新刊は 順番待ちが多いのがねぇ…

 

ずっと前に出た本は 触るのもためらうような汚れがあったりして

わたし的には ちょっと苦手だ

BOOKOFFでものぞいてくるかなぁ…

 

その触りたくない本を読んだところ

先の『悪意』が面白かったので彼の作品を借りたのだが これがどうしてこうなるの?という痛み方…(2003年出版)

8017 苦肉の策で サランラップでくるんでクリップで なるべく触るところを少なくした

内容は 首切り魔なんて言うからサイコミステリーかと思いきや 人の心の闇を暴く警察ミステリーの傑作、とある

ここに出てくる警官たちの人間を描く立ち位置が 嘘っぽくない

先に 見るのが嫌になるドラマは 殺人する人はどこか精神を病んでいる、という類型的な描き方が 違和感のもとでもある

確かに そうかもしれない(生まれた時から 救いのない人がいないとは言い切れない)

それでも 

誰だって 

ほんの些細なことで 罪を犯す、かもしれない存在だ、と 

悲しいけれど そう思っている自分、

だから 気をつけなきゃ、もっと謙虚でありたいとも思う

本を読むと、そういう気持ちを新たにすることもしばしばだ

あとがきに スウェーデン文学では 皮肉屋で遠回しな言い方をする、また心理描写が哲学的に深まっていくとある

お国柄というか、雪に閉じ込められる長い冬と関係あるのかもしれない

北欧の警察ミステリを読んでいていつもおもうのだが、こちらの警察官は 休日は休日として過ごすのが当たり前らしい、そんなところの違いも 今の私には興味津々で読んでいる

現実の中では 海外旅行もしないし、外国の方とは話すことは ほとんどない生活だけど 本の中では あちこち旅している気分!