『急に具合が悪くなる』を読んで

もし明日、急に重い病気になったら―― 見えない未来に立ち向かうすべての人に。
哲学者と人類学者の間で交わされる「病」をめぐる言葉の全力投球

 

~読書忘備録は 「buna日記」に書くのだが この本のぶんは ここで書きたい~

図書館で こんな本頼んだ覚えは無いけど…と思った通り これは🐢どんが借りた本だ

自分の借りた本を全部読み終え 手持ち無沙汰だったので ひょいと中を読んでみたら どんどん引き込まれてしまった

 

老いを実感するたびに 確実に 死は 近づいていると 思う自分

とはいえ それは「いま」とはいえない…あと数年先くらいの「いま」とはいえない「いま」

 

目の前に 「死ぬ」状況にある人に どんな声かけができるというのか?

それは Nsとして仕事をしてきて以来、自分への問いでもある

 

たまたま手に取った、読んだ、それは 偶然なのだけど そうじゃないのかもしれない

 

その前に 「曲がり角」について書かれた ブログ記事が 頭の中でぐるぐる堂々巡りをしていた事とも関係あるのかもしれない

 

自分に限って言えば 「曲がり角」は ちょっとイメージできなくて

もっと若くて 冒険心旺盛な時なら 「曲がり角」だったかもしれんけど

 

どちらかというと 高低差はほどほどの起伏のある一本道、というか 

その道は 分岐点がたくさんある1本道

曲がり角 曲がったら 今まで歩いた道、見えなくなりそうやし、ちょっと違うかな

 

この本は リアルな死を意識せざるをえなくなった宮野さんと 逃げずに正面から受けて立った磯野さんの書簡集なので 文章にすると きれいにまとまって聞こえてくる言葉の裏に 生々しい人の声まで聞こえてくる、そんな本だった

哲学的な話は 苦手ではあるわたしだが せっせと文章を書きだして書いているのに気付いて 「へっ?」と驚いていた🐢どん

たまには こんな本も読めるんだわさ!

 

自分では どうしようもない大きな出来事に直面した時 自分の人生に与えられた偶然の途方も無さに呆然とする

でも その偶然を引き受け わたしたちは生きねばならぬ

選び、決めたことの先に 自分がある

意識がなくなるまで 自分を律して 死に向き合われた宮野さんのような生き方は 凡人のわたしにはまねなどできそうもないけれど 

選び、決めたことの先に 自分がある』

この言葉は うんうん、と頷ける

 

未完結なまま残ったものは その人が生きようとしていた痕跡でもある

人間にとっての死という終わりは 必ずしも 完成されるということではない

 

一生懸命生きようとしていた痕跡を知るたびに わたしは 感動しまくっている

わたしも そんな痕跡が 残るだろうか

 

人は 自ら紡ぎだした意味の網の目の中で生きる動物である  クリホード・ギア・ノ

 

~意味を作りだし その中で生きることのかけがえのなさ、その意味の美しさを歌いながら~