マスクから 昔の仕事のことを思い出した

記事を書こうとしたら こんなお題があった

 

マスク増産と言いながらも 巷には出てこない

これしきの品物も 自給自足できない国であることに 残念な・・・

 

その「マスク」から 昔を思い出した

 

わたしが 看護学校を卒業、勤務希望病棟を問われた時 

即、あこがれのDrの結核病棟を志願した

昭和45年、まだ結核患者さんの栄養補給に 大量皮下注射などという治療が 普通に行われていたし 静脈への点滴も 煮沸消毒したイリゲーター使用が主で 輸液セットが出始めの頃…

それを思うと 医療の進歩?は 目覚ましい

 

当時、結核=死という時代から 

手術や薬物治療で治る病気になりつつあったが 

伝染病であるから 仕事に入る前には 

裾まで引きずるような予防衣に 帽子、マスク着用せねばならなかった

 

まだ 排菌されている患者さんも多い病棟だった

勤務の終わりには 病棟に風呂もあり 自分の住むアパートは共同台所に 風呂なしだったからありがたく利用したなぁ・・・なつかしい

 

で、ふと思った

マスク その生地は 丈夫な綿であった、と記憶している

洗濯、煮沸消毒されて 再利用(時々医療ドラマで見るような ひもで結ぶタイプ)

 

勤務終了時まで 一日中使う

 

予防衣は よほどの汚れがなければ ホルマリン消毒用のロッカーに吊るし

また使用する、そんな風だった

 

手洗いは もちろん 必ずする(ブラシで)

 

が 今の感覚で思えば そんなんで良かったのかな、と思う

若かったから 自分が感染するなどとは 思いもしなかったのだ

 

それでも 誰も 結核感染したという話は 聞かなかった

 

今回 コロナ騒動のはじめ 普通のマスクでは防げぬと言われ 

マスクが買えなくなると 

キッチンペーパーや布でマスクを作ろう!となった

 

効果がどうであれ 

マスクをしていないと ちょっと咳するにも びくびくしてしまう

歳を取って ほんの些細なことで むせやすくなっていて 咳が出ることも多いけど 外出時は 気を使う

 

人間の体は 自分のものと思っているけれど 

微生物やらなんやら 目に見えないものと共生していると 時々 あらためて思う

今は まだ表面に我が物顔には姿を見せないけれど 癌だって 潜んでいると確信している

 

コロナも マスクで たぶん 防げるというものでは 無いのだろう、と チラッと思う

 

結核という 目に見えない病気で 入院していた患者さんたちのこと

初めての勤務場所だったので お顔まで 思い出せる方も多い

 

カナマイやストマイの筋肉注射を トレーいっぱい抱えて 「はい、お注射です~ケツ出してくださ~い」なんて 先輩が部屋の入り口で声を上げる

ぶす、ぶす!

もう長いこと筋肉注射をされている方は 注射針が刺さらない(それも再利用の針)

どうかすると 薬液がピュッと出てくる

 

決して 暗い病棟ではなかった

治るという希望があったからかな

 

母に買ってもらったピンクの口紅を 初めて 少しだけつけ 

準夜勤で薄暗いから 目立たぬかと思い 

排菌されていない部屋を マスクなしで巡回していたら 

即、若い男性の部屋で 目ざとく見つかってはやし立てられ 

真っ赤になって 詰め所でゴシゴシ取ったこと…

それ以来 もう化粧ができないまま 婆になってしまった

 

夜になると 淋しくなって ナースコールで 

「看護婦さ~ん」と呼ぶ ミナトグンジロウさんの声が 今でも耳に残っている

 

あこがれのDrのもとでの結核病棟勤務は わは青春の思い出

🐢や娘たちにも言えない 甘酸っぱい思い出がいっぱい詰まっている

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山吹が咲きだした



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